東京地方裁判所 昭和61年(ワ)3359号 判決 1989年9月29日
原告 株式会社ゴトウビルディング
右代表者代表取締役 後藤一郎
右訴訟代理人弁護士 平野智嘉義
同 大森八十香
同 桃谷恵
被告 マンダリン商事株式会社
右代表者代表取締役 長州健次
右訴訟代理人弁護士 山口英尚
主文
一 被告は、原告に対し、原告から金四億円の支払いを受けるのと引き換えに、別紙物件目録記載の建物部分を明け渡せ。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は被告の負担とする。
四 この判決は、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一事案の概要
一 原告は、昭和四四年一一月二四日被告に対し、別紙物件目録記載の建物部分(以下、「本件建物部分」という)を、期間一〇年、被告がその代表者を変更しようとするときは事前に原告に書面による届け出をしなければならないとの約定並びに原告より書面による予め承諾を得ないで本件建物部分について修理・改築・改造・模様替え・その他現状を変更する行為をしてはならないとの約定つきで賃貸した。右賃貸期間は、昭和五六年一〇月一五日、原告が自己使用の必要による更新拒絶を原因として東京地方裁判所に提起した本件建物部分明け渡し請求訴訟の和解において、期限の定めのないものと変更された。
二 被告代表者であった訴外古館誠は、昭和五六年九月ころ保有していた被告の株式二〇〇〇株のうち八〇〇株を訴外姫野郁生に、訴外松下正和に一〇〇株を譲渡した。
そして、同月一〇日、被告の取締役であった古館友記、石田義直、監査役であった辻子孝子が退任し、新たに代表取締役に古館誠、姫野郁生、取締役に松下正和、山口猛史、監査役に姫野フジノが就任し、同年一二月二四日には、古館誠及び姫野郁生が取締役を辞任し、山口猛史が代表取締役、名和孝徳が取締役に就任したが、山口自身は当時被告の総務部長と称していた。被告の役員は、その後変更し、昭和五八年九月一七日以降、代表取締役に長州健次、取締役に松下正和、古館友記、姫野フジノ、監査役に姫野金光となっている。
三 被告は、本件建物部分においてディスコ店「ウィズ」を営業していたところ、事前に原告の承諾を得ることなく、昭和六一年二月一七日ころより、本件建物部分の改修改装工事に着手し、同月一八日原告より工事中止を求められたが、結局右工事を実施し完了させてしまった。
四 原告は、昭和六一年三月一四日被告に対し、賃借権無断譲渡及び無断改修工事による信頼関係破壊という理由で、本件賃貸借契約解除の意思表示をした。また、原告は、昭和六一年八月一九日の本件口頭弁論期日において陳述した準備書面により、被告に対し、本件賃貸借契約解約の意思表示をした。
五 原告の本訴請求は次のとおりである。
1 本件建物部分の明け渡し(予備的に、原告が被告に対し金四億円を支払うのと引き換えの本件建物部分の明け渡し)。
2 訴訟費用の被告負担。
3 仮執行の宣言
六 《証拠関係省略》
第二主たる争点
一 原告の主張
(本件賃貸借契約解除の事由)
1 被告の実質的経営者が古館誠より姫野郁生に変更し、その代表取締役も交代したから、被告の実態の変更があり、賃借権の無断譲渡がなされたものである。
2 被告が昭和六一年二月一七日よりなした本件建物部分の改修改装工事は、工事費用が金一七〇〇万円にもなる大掛かりのものであり、原告の工事中止要求を無視して強行実施したものであった。
3 以上の被告の行為は、本件賃貸借契約の信頼関係を破壊したものである。
(本件賃貸借契約解約の正当事由)
4 本件建物は、昭和三一年に建築され、昭和三六年と昭和三九年に本館部分の増築、昭和四一年に新館の増築がされ、度重なる改築が繰り返されて、構造や内容も複雑になっており、現在は店舗、事務所及び共同住宅として利用され、一階部分は原告の代表者の経営する株式会社ゴトウ花店が利用しているが、老朽化や建物の安全防災についての法的規制の強化により、次のとおり、利用上、効率が著しく劣化し、昭和六〇年五月に実施された建築基準法一二条に基づく特種建築物調査報告では既存不適格建築物として防災上著しく支障のあるもの(最下位のD評価)と判定された危険な欠陥建物となっている。
(一) 本件建物は、その構造耐力度試験をしたところ、コンクリートの中性化がかなり進んでおり、コンクリート強度の劣化が通常より大きい。
(二) 本件建物は、現在の耐震基準からみれば、本館部分の二、三階の壁量が不足し、上が重く下が軽い構造になっているので耐震性がない。
(三) 暖房、換気、空調用装置は、そのオイルギァポンプの耐用年数がきており、機械室及び建物全体の配管の耐用年数が経過しているので、適格なものでなくなっている。
(四) 給水管にかなりの発錆があり、水槽も法規の基準に適合しなくなっている。また、給湯用ボイラー及び配管等は耐用年数がきている。
(五) 配電盤のケーブル処理不適による取り替え、電気容量の増加のためのトランスと配電盤との間の銅パーの取り替え、耐用年数の経過した高圧遮断器、トランス、コンデンサー等の高圧機器の取り替えが必要な状態であり、本件建物全体の配電幹線を改善する必要がある。また、機械室の動力開閉器は蒸気がかからないようにするため移設する必要がある。
(六) 本件建物は、六階以上のところに共同住宅として利用されているところがあるため、法規上厳しく安全防災設備を設けることが義務づけられている。ところが、本件建物には、二つ以上必要な直通避難階段が完全には設置されていない欠陥、住居部分に必要な二方向避難口がない欠陥、火災発生時の避難通路となる中廊下に必要な排煙設備及び非常用照明設備のない欠陥がある。
(七) 本件建物には、消防隊の非常用入り口がなく、二階と三階の店舗部分の吹き抜け部分に防火区画も排煙設備もないという欠陥がある。また、本件建物の地階の避難経路の天井が低く、電気配管類が複雑に付設されていて、その役割を果たしていない。
(八) 本件建物に設置されているエレベーターは、三〇年間使用されてきて老朽化が著しく、旧式でセレクターマシンが制御盤内に併設されておらず、制御盤の配線の損傷及び腐食、セレクターマシンのワイヤーの甚だしい磨耗の進行、機械室床のコンクリートの破損と強度不足、捲上機モーターの耐用年数の経過による油漏れやブレーキングショクスリップ等の不良、落下防止装置とそのロープの損傷、扉開閉マシンのギアー及びそのロープの磨耗の進行がある。右エレベーター製作会社が既に倒産しているために補修部品がなく大修繕も不可能であるうえ、エレベーターの取り替え以外に方法がないが、本件建物の強度不十分が障害となっている。原告は、昭和六一年三月二七日東京都港区役所から右エレベーターの運行休止の行政指導を受けたため、同年四月一日その利用を停止した。
5 右4の欠陥や要修繕箇所を本件建物を使用しながら大改修、大補強工事をするには、総額で金四億〇七四一万一〇〇〇円という莫大な費用がかかる。その資本投下を回収するは大幅な家賃の値上げが必要となり、経済的に採算に乗せることが難しい。
6 本件建物の敷地は、六本木交差点東南方約五〇メートルに位置し、繁華な商業地域で、防災地域、建ぺい率六〇パーセント・容積率七〇〇パーセントの建築制限地域に指定されていて、地価も極めて高いところである。原告は、右土地を高度利用するため、本件建物を取り壊して高層ビルを建築し、一階をゴトウ花店の店舗、二階を同店の店舗兼事務所、地階を駐車場・倉庫、最上階を後藤一郎一家の住居として利用し、その余の部分の一部を原告の事務所とする外は、大手の会社に一括賃貸する計画を立てている。
7 本件建物の入居者の半分以上の者は、原告の本件建物取り壊し・新ビル建築に賛成して、退去したり、退去の準備をしている。
8 被告は、風俗営業法違反による営業停止処分を何度か受けており、同法による規制強化や六本木周辺の著しい地価高騰に伴う諸経費の増大から、その営業の採算性の不適合を来している。また、被告の役員ら関係者は渋谷でも同種の営業を行っており、被告が本件建物で従来からの営業を継続する必要性はない。
9 仮に、右事由のみで解約の正当事由を充足しないとするならば、原告は、被告に対し立ち退き料として金四億円若しくはこれと格段の相違のない範囲で裁判所が相当と判断する金員を提供する用意がある。
二 被告の主張
1 原告の主張1の事実は否認する。古館誠は、被告の発行済み株式総数の過半数以上の一一〇〇株を現在も保有し、その経営権を掌握している。同人は、肝臓病と老齢等のため、営業の現場には殆ど顔を出していないのに過ぎず、息子の古館友記を被告の取締役として残しているものである。
2 原告の主張2の事実は、原告の中止要求を無視して強行実施したことは否認し、その余は認める。被告の担当役員は、昭和六一年二月一五日原告の管理事務所に赴き改修改装工事をすることにつき挨拶しており、原告の中止要求後直ちに工事を中止し、原告の副社長に面会して工事の続行につき懇願して、これを容認してもらった。被告の店舗内の内装工事及び設備工事、本件建物部分の部分的修繕工事は、従前より定期的に行われており、包括的に原告の承認を受けていた。
3 被告の現代表者は実質的に従業員に過ぎず、その変更によって被告の経営の実態に変更はなく、これがために原告に実質的不利益を与えたことはない。また、本件改修改造工事の大部分は、台風による漏水等のため損傷した店舗内の塗装、ボックス、床、鏡の張替、便器の取り替え、営業用水タンクの移転であり、原告の了解を得ていないという倉庫部分の改修も現状維持の目的で行われたものである。右の過程において、原告の書面による承諾を得てない契約違反や、建築規制法規違反になる工事部分があっても、被告は善意で、過失により行ったものであるから、本件賃貸借契約の信頼関係を破壊したとまでいえない。
4 原告の主張4の事実のうち、本件建物が建築後三〇年以上経過しており、建物自体及び設備がある程度老朽化していること、建築基準法一二条に基づく特種建築物調査で既存不適格建築物としてD評価を受けたものであること、本件建物のエレベーターの老朽化が進み昭和六一年三月二七日東京都港区役所の行政指導により同年四月一日より使用停止となっていることは認めるが、その余は否認する。本件建物は、既存建物としてそのまま存立することが許されておるものであり、ある程度補修すれば相当期間使用でき、改築しなければならない必然性はない。また、本件建物部分の上には、一階駐車場とその屋上の温室等のみがあり、本件建物本体とは独立しているから、本体部分の改築の必要性があっても、本件建物部分の取り壊しが必要ではない。
5 原告の主張5の事実は否認する。
6 原告の主張6の事実のうち、本件建物の周辺地域の状況が原告主張のとおりであることは認めるが、原告の改築・新ビル利用計画の内容は知らない。原告の改築利用計画は具体的な事業計画にまでになっていない。
7 原告の主張7の事実は否認する。
8 原告の主張8の事実のうち、被告が営業停止処分を受けたことがあることは認めるが、その余は否認する。
9 被告は、多くの従業員を抱え、本件建物における事業のみにより生計を維持しており、他の場所に移転することは、事業形態や経済的事情からみて即転廃業につながり不可能である。解約の正当事由を補充するに足る立ち退き料は、借家権価格金八億一五〇〇万円に被告の完全なる営業補償金を加算したもの以上の金額であるべきである。
第三主たる争点についての判断
一 本件賃貸借契約解除の事由の有無について
1 《証拠省略》によると、古館誠は、被告の株式を姫野郁生に八〇〇株譲渡した後現在にいたるまで一二〇〇株を保有し、両人が被告の共同経営者となっていること、古館誠は肝硬変で病気がちのため被告の店舗にきて営業の指図をすることはなく、姫野郁生が上京したときなどに直接営業方針等の指図をしていること、被告の現代表取締役の長州健次は、実質は調理師兼現場責任者であり、古館誠に頼まれて被告に転職してきたが、最初のときに古館誠より今後姫野郁生に相談するよう指示されていることが認められる。右認定事実によると、被告の経営者が古館誠から姫野郁生に代わって本件建物部分の賃借権が実質的に譲渡されたとまで認めることはできない。しかしながら、被告の代表者の変更につき本件賃貸借契約の約定どおり事前に書面で原告に届けることがなされていたことを認めるに足る証拠はない。
2 被告が昭和六一年二月一七日よりなした本件建物部分の改修改造工事が工事費用にして金一七〇〇万円にもなる工事であったことは当事者間に争いがない。
《証拠省略》によると、被告の取締役松下正和は、右工事について昭和六一年二月一五日原告の管理事務所に工事の実施につき届け出する意味で挨拶に出向いたが、原告の管理事務所の者の了解を得るに至らなかったこと、原告の中止要請を受けて、松下が原告の副社長と交渉し、店舗の入り口及び内部の塗装、ボックス、フロア、鏡等の張替、便所の器具の取り替えなどの改装工事のみについて了解を得て、被告は、工事の続行をしたが、了解の得られなかった店舗入り口右手脇空き地部分に倉庫を新設する工事も強行してしまったこと右倉庫の新設により本件建物は建築制限を超過することになってしまったことが認められる。《証拠判断省略》
被告が定期的に行う改装工事等について原告の承諾を包括的に得ていたことを認めるに足る証拠はない。
3 被告が本件賃貸借契約の約定どおり代表者の変更届を出すことや改装工事について事前の書面承諾を得ていないこと、並びに原告の了解のないことを承知で右倉庫の新設工事を強行したことは、原告との信頼関係を相当損なうものではある。しかしながら、前者の違約行為は結果として原告の利益を大きく害するまでには至っていないこと、後者の無断工事はその工事全体に占める規模からして当該部分を撤去させることでも足りることを考慮すると、今回は、これらのみの事由で契約解除を相当とする程の信頼関係の破壊があったとまではいえない。
二 本件賃貸借契約解約の正当事由の有無について
1 本件建物が建築後三〇年維持用経過しており、建物自体及び設備が老朽化していること、建築基準法一二条に基づく特殊建築物調査で既存不適格建築物としてD評価を受けた建物であること、本件建物のエレベーターの老朽化が進み昭和六一年三月二七日東京都港区役所の行政指導により同年四月一日より使用停止となっていることは当事者間に争いがない。
《証拠省略》によると、本件建物全体に原告の主張4(一)ないし(八)のとおりの著しい老朽化、利用効率の低下、危険な欠陥があることが認められる。
2 《証拠省略》によると、原告の主張5の事実が認められる。
3 本件建物の周辺地域が原告の主張6のとおりであることは当事者間に争いがない。
《証拠省略》によると、本件建物の敷地を高度利用するため、原告の主張6のような改築・新ビル利用計画を立てていることが認められる。
4 《証拠省略》によると、原告の主張7の事実が認められる。
5 被告がこれまでに風俗営業法違反により営業停止処分を受けたことがあることは当事者間に争いがない。
《証拠省略》によると、被告の本件店舗には従業員が二五人前後働いていて、本件建物部分の明け渡しをするとそれらの者の生計確保に支障が生ずる恐れもあること、もっとも被告代表者は被告の系列会社でもって渋谷にも床面積一六〇坪のディスコ店を経営していることが認められる。
6 《証拠省略》によると、本件建物部分の昭和六三年一〇月二〇日時点における借家権価格は金八億一五〇〇万円と評価されていること、同鑑定は借家権価格を算定するに、正常賃料と継続賃料の差額の借り得分(年当たり金三〇七五万六一六六円)が無期限に存続する前提のもとに差額賃料還元法を採用し、また、評価対象部分にかかる土地価格配分額を金三六億九八八〇万円余とかなり多めにして借家権割合を自用の土地建物価格の二二パーセントと判定する割合方式を採用し、これらの試算結果を総合考慮していることが認められるが、右存続期限の前提は本件建物の状況等にもてらして失当であり、本件建物部分の本件建物に占める具体的状況からみても右土地価格配分額は過大というべきであって、右鑑定結果はそのまま採用しがたい。
甲第三二号証(日本不動産研究所の鑑定書)によると、昭和六三年一〇月二〇日時点における本件建物部分の営業補償を含まない立ち退き料について、金四億九二〇〇万円が相当であると評価していること、同鑑定は右立ち退き料を算定するに、評価対象物件にかかる土地価格を金一五億六〇〇〇万円として土地価格の三二パーセントと建物価格の四〇パーセントとする割合方式と、借家権の存続見込み期間を一二年とした差額賃料還元法と、現在の借家と同程度の所へ移転することを仮定した費用を査定した方式を採用し、これらの試算結果を総合考慮していることが認められる。両方の鑑定の本件建物敷地の更地価格の評価には大差がないが、本件事案の場合、この甲第三二号証の鑑定書の方がよりその算定方法が的確であるというべきである。
そして、原告が予備的に本件賃貸借契約解約の正当事由を充足するために提供しようとしている立ち退き料は、右鑑定立ち退き料額の八〇パーセント以上にも相当する。
7 以上の事由を総合すると、原告が本件建物を取り壊して新ビルを建築する必要性は極めて大きいものと認められる。一方、被告は本件建物部分の改修改造工事に金一七〇〇万円の費用を掛けて間もなく、未だ十分にその償却や投下資本の改修をしていない恐れもあり、これを明け渡すことによって、移転先の確保あるいは従業員の整理の苦労にも迫られ、営業上の損失も少なくないことが認められる。これら双方の事情を比較すると、無条件に本件建物部分の明け渡しを被告に強いるには、未だ正当事由が足りない。しかしながら、被告には前記一のような背信的事由もあり、本件借家権が解除により消滅する危機的状態にあったことに鑑みれば、原告が提供する立ち退き料金四億円でもって、解約の正当事由は十分に充足されるというべきである。
従って、立ち退き料金四億円の支払いと引き換えにすることを前提にして、原告の本件賃貸借契約解約の効力は認めるべきである。
第四結論
以上によれば、原告の本訴請求は、金四億円を被告に支払うのと引き換えに本件建物部分の明け渡しを求める限度で、理由があるからこれを認容し、主文のとおり判決する。
(裁判官 鬼頭季郎)
<以下省略>